己の欲せざるところは
人に施すなかれ
「己所不欲、勿施於人」
人からされたくないことは
自分からも人にはしないこと
これが 論語の「恕」 である
しごく 当たり前で
簡単なことなのだけれど
実行は 難しい
「一言にしてもって終身これを行なうべきものありや」
という問いかけに対する孔子の答えである
果たして
奥の深い言葉なのだろうか
私にとっては 心の奥底にまで 突き刺さる
するどい 師の お言葉という そんな重みがあるのだが
切り口 受け止め方によっては
「そんなの 誰でも言えるじゃん」 てなことになる
この問答の
奥深さを知らないと 間違いも起きるのだろう
もっと 学ばなければ 失礼の極みということである
思えば
氷山の一角を見て
すべてを理解したような 錯覚に陥っている場合が
少なくない
短時間に正解を求める 教育の弊害でもあるのだろう
正解がひとつではない場合にも
無理やり正解を 求める 世の中にも問題があるのかもしれない
さて 総選挙の行方はどうか
解はひとつではないのに
むりやり どちらかに決めようとしていないか
「人からされたくないことは、自分からも人にしないこと」 との教えを考えれば
近頃の 民主主義は
どうにも 矛盾だらけで 攻撃的である
【 訓 】
やはり “だらけ” なのだ
ゆったりと 「己の欲せざるところ」 が何なのか
考えねばならない
そうしてはじめて 「人に施す」ことの 重大さを 悟るのだ
「己の欲せざること」が 時代とともに 大きく変化しているとしたら
もう一度 孔子と 問答をする必要もある
“こうし”て 時代は繰り返す
とまれ 現代の 孔子 ありやなきや
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