思えば ニッポン人には
刹那的な 文化が染みついているのだ
襖 畳 障子 垣根(竹などの)
どれも 比較的短時間に その様子を変えることが出来る
いわば リセットできるのである
こんな ニッポン人に
デジタル文化が 妙に融合し
いとも簡単に 人生観さえ 「リセット」してしまう
そんなことはないだろうか
深く考えないまま 次のステップに 移行していないだろうか
スピードを優先すると
何もかもが 薄っぺらなものになる
ゆとり教育で
学力が低下したというが
本当なのか
向上させるべき学力とは何かを もっと議論すべきではないのか
真のゆとりを取り戻すための リセットなら
何度でも歓迎である
教育の場に
スピードは 似合わない
と 思うのだけれど
いつの間にか 併走する誰かに
追い詰められるように
走ってしまう
ニッポン人の 生真面目さが そうさせるのか
学び舎で
師とともに ゆったり考える時間が取れるのなら
そんなふうに 変わるのなら
リセットにもまた 意味があるのだが
ニッポンの リセットは
どうにも 刹那的である
戦後 がむしゃらに走ってきた後遺症か
もともと備わっている国民性か
ゆったり感 が ないと
ほんとうの 子育てができない と
思うのだが
なにか 見えないものに 追い立てられて いるようでもある
地球の その自転速度を
落とす手立てはないものかと
真剣に考える この頃である
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