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ちかよりがたさ

あんたがた どこさ
ではない
近寄りにくいさまを表す ことばなり

幼きころ
父や 父方の祖父には
近寄り難い 雰囲気を感じていた

自分で 少し距離を置いていたから なのだろうか
あるいは そうでなく
彼らが 家長としての 威厳を 身体全体で
示していたから かもしれない

とにもかくにも
近寄り難い存在だったのである

その 「威厳」が
規範を守る 社会的な 「たが」 だったような気もするのだ
「ルールは俺だ」 のごとき 威圧感はあった

言葉ですごむ訳ではない
無言の 迫力である

さて
お父さん達が 友達化して
随分 歳月が経った
物分かりのいい というより
我が子を 猫可愛がりする 親が 増えた
子は ペットではない

おそらく その結果であろう
社会全体が ルールを 守らなくなった
叱る人が居ないからである

そうして 叱られないで育ったお父さんも
自律できないでいる

その昔
頑として 考えを曲げなかった(であろう) 親父たちは
規範を 自らのものとして 守ってきたのだ
彼らに 自覚はなかったのかもしれないが
教育的には バランスの取れた 社会だったに違いない

「お友達社会」が 自らを律するとは とうてい思えない
「民主的」を 履き違えると
どうにも止まらない 堕落が待っている筈だ

理想の父親は どうあるべきか
ニッポンの 至極 当たり前の規範は
どうあるべきか

ベクトルをあわせて その結果が かつてのような
軍靴の音に 期待するわけではない
ルールを守るという そのことに真摯な社会を作りたいだけだ

人としての 規範を
誰が いつ どう教えるかが
喫緊の ニッポンの課題であろう

先人たちが 威厳を失っている今では もう
遅いのかもしれない
誰もが信じられる そんな人を
ひたすら 作ってゆくことが
近道かもしれないのだが

「威厳」を 保てるのか どうか

一人ずつでもいい
規範を 伝えていこうと思う

それは 理論であってはならない
生々しい 威厳が求められるのだ

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