ひたすら歩んできた道は
なんだったのか
多くの団塊世代は
先輩の背中を見て育った... と自負しているが
本当にそうだろうか
ただ ひたすら 社会の変化に
引きずられてきただけなのかもしれない
当時のニッポン人の生活観からすれば
産業革命ともいえる 猛烈な進化が
「昭和」そのものなのである
そのなかで 否応なしに
もまれ続け
今 やっと安息のフェーズに 入ろうとしているのだ
先輩の背中なんぞ 見ている暇はなかったのが
実態ではないか
日々 進化の中で 新しい文化を身体で学んできたのだ
そうして 気付いたら
バトンを渡すべき後輩は
はるか後方にいるのである
自らは しっかりとした教育を受けた覚えもない
が しかし 産業そのものの大きな飛躍が
問答無用で 襲い掛かり
学ぶしか なかった ...のが実情ではないか
そうして
豊かな社会で育った 後輩は
「もまれる」必然がなかったので
自立できないまま 重いバトンを渡される
豊かさの ツケを 今 支払うのである
豊かな社会での 教育の仕方を
これから しっかり考えねばならない
そうして
「先輩の背中」 を 誰もが理解できるプログラムで
示す必要がある
豊かな社会での きちんとした躾の必要性を
社会全体が理解し 新しい文化として
培っていくことが求められる
「先輩の背中」 が なくても生きてこられた世代が
引退するのだ
そうして ハングリーを云々する時代でもない
豊かさの中での 新たな「先輩の背中」を
社会全体で 作り上げるべき 時なのだ
そんなことを
政治に期待するのだが
懐古趣味でなく 次代のニッポンを
語る政治家が なぜ出ない
豊かな筈のニッポンの
まずしさが そこにある
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