心配していたことが
また 起きてしまいました
奈良の高校一年生です
今回の事件は
殺意を認めていると 報道されているのですが
近年 未必の故意という 判例が
多いように思います
未必の故意とは
大辞林 第二版によれば「実害の発生を積極的に希望ないしは意図するものではないが、自分の行為により結果として実害が発生してもかまわないという行為者の心理状態。」
なのですが
これで 片付けてしまって 良いのでしょうか
普通の子も 成績優秀な子も とんでる子も
みんな
近い未来を 説明できないでいるのではないでしょうか
「自分の行為により結果として実害が発生してもかまわない」
そんな心理状態なのではなく
自分の行為の結果がどうなるのか
容易に想像できないのではないでしょうか
人の痛みを 理解できないのでは ないでしょうか
実害がこれ以上 発生しないよう
子供達に もっと
想像力を 与えてあげなくてはならないのです
彼らが 浸る世界は
バーチャルなものが 多いのです
仮想です
所詮 仮の世界ですから
痛みも伴わないのです
本やラヂオから 遠ざかり
チャンバラごっこを しなくなって
遊びのほとんどが 仮想世界になりました
しかも 自ら創造した仮想でなく
与えられた ものなのです
「遊びの結果として」得られたものは
誰かが考えた 仮想世界であり
痛みもなければ 喜びも 身体全体で感ずるものとは云えないのです
五感を使っていないのです
こんな生活が 繰り返されれば
自らの想像力や 判断力が
次第に薄れていくと 思えてならないのです
そうして 親もまた
子の未来に
偏った想像しかできなかったのではないでしょうか
電子的なゲーム だけでなく
容赦なく 映像で訴えかける TVや映画もまた
五感の使い方に 偏りがあるように思います
便利さと 今まで気付かなかった不具合
さて 修正には とても時間が 掛かりそうです
金さえ儲ければ良しとする風潮も
こんなところから
きているのでしょうか 村上さん
あなたは 勝ち組なのですか
人の心を 読む やさしさを
育てたいものです
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