成熟した社会で
人々を 導くのは
とても難しいことなのか
優柔不断
そんな感じのまま
退いた
直近の 自民政権下でも
首相は 短命だった
なぜ だろうか
ニッポン中が
他人事と そう思ってはいないか
そうして 近年 歴代首相の味方は
一人も居なかったのではないか と思う
そんな気もするのだ
側近が 皆 首相のために
命懸けだったかどうか あやしいものである
かつてのニッポンは
一人ひとりが 相応の責任を自身に与えていたので
責任と権限が曖昧であっても
きちんと制御されていたように思う が
今のニッポン人は
責任を追及されても 責任をとろうとしない
総理一人が 責任をとれば良いということでもなかろう
そんな時代に合わせて
責任と権限を 明確にすることが求められている
志を 同じくする集団にもかかわらず
意思疎通もままならず
組織として
一枚岩となっていないのは
自民も 民主も
同じではないのか
新しいニッポン人の 集団である
責任を 「仕分け」する必要がある
誰がための政治なのか
少なくとも
民を率いる心があるのなら
民に向かって
真意を 説明すべきであろう
どうも
そんな基本が
忘れ去られているようでならない
選挙に勝つということは
どういうことなのか
そのためだけに 心血を注いで
その結果
なにがあるのか
公約の 真の意味を問う必要もあろう
マニフェストなどという カタカナに
惑わされてはいないか
一票の 重みを
もう一度
考えてみたい
無関心民主主義が
台頭しているように思う
権利を放棄し 義務を見つめない人が
増えていることも事実だと思う
利益があればよしとする
ほんとうに これでいいのか
一人ひとりが ニッポンを
背負ってたつような 心持ちでないと
何も変わらないと そう思うのだが
さて どうするか
これでいいの?
赤塚不二夫さん
「これでいいのだ」と
きっぱりと言い放つ
そんなリーダーを
求めすぎているのやも知れぬ
そんな人が
育ってもいないのに
もし そんな強いリーダーが現われたら
まんまと だまされそうでもある
気をつけなければ
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「賛成の反対なのだ」
By 赤塚不二夫