子供の頃、よく物を壊した。「分解した」といった方が良いかも知れない。が、しかし、結果的に壊れた物の方が多い。それはそれで、ものの構造やパーツの構成を良く理解できた。慣れてくれば、ビスの一本も失せることのないよう、外した順番に揃えて置いたものだ。そんな経験が今、役立っている。何かが壊れたとき、隠れた部分の構造や組み立て方を脳裏に描き、故障の原因を推測するにさほどの時間を必要としない。過去の分解癖が役立っているのである。極論すれば破壊が構造理解につながっていたのである。
今の子供達はどうだろうか。からくり人形に感心するような、そんな「道具」が周辺から消えている。例えばタッチパネルは便利だが、分解してもまことに面白くない代物である。容易に仕組みを理解できないのだ。昆虫や多くの動物たちからヒントを得て乗り物や働く機械を造ってきた人類だが、少しばかり感覚が違ってきたのかも知れない。親指だけで通信やゲームが出来てしまうようになった。そのうち瞬きや鼻息で空を飛べるようになるに違いない。悔しいが、必然のようでもある。
UFOの如き物体が飛び交うのもそんなに先のことでもないだろう。さてその時、鉛筆を削れる人はいなくなるのか。せめて文字を残しておいて欲しいが。
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