朝日新聞 天声人語に
医師も 患者の顔を見ないで診察する との一節があった
コミュニケーションが 改めて問題とされる時代である
相手の目をよく見て
そうして 先ずは 自分の心を開いて
...という 常道も 分からないでもないのだが
一番のポイントは
“空気を読む” ことではないだろうか
多くを語り 多くを聴いてみても
心が通わない場合はある
相手のことばが 空を切り
自身のことばが 空を舞うような
空気が繋がらない そんなシチュエーションを
感じてしまう瞬間があるものだ
いつか書いたような ほとんど動物的な
感性を 人も持っている筈なのだ
それは 理屈ではなく
相手と旨く事を運ぶための 瞬間的な判断力だ
そんな能力を 大切にしたい
だが そんなことではなく
何かが違っているのでは と 思うことが
最近多いのだ
“動物” を 感じない
無機質というのだろうか
無駄を省きたがるのか 面倒なのか
無駄を省くことも 面倒くさがりも その「程度」が問題なのだが
それを 型にはめるのは
それこそが問題となる
少し前までは 犬も食わない夫婦げんかを
例えば 酒の席の話題にして 面白がる時代だったが
近頃は
犬も食わないような夫婦げんかを
第三者に 妙に真面目に相談する時代
...のような 気がしてならない
「空気が読めない」以前の問題ではないのか
幼い頃から
常識を 自らの常識として
経験していないからか
現実と バーチャルとを 混同して育っているからか
はたまた 横のものを縦にもしない 生活環境か
いずれにしても
ひとり一人の 責任ではない
そんなふうに 育ててしまった 社会の責任でもある
【 訓 】
運動会での一番を ほめてあげて下さい
給食を 残さず食べた子を ほめてあげて下さい
お絵かきの上手な子を ほめてあげて下さい
参観日に お母さんを一番先に見つけた子を ほめてあげて下さい
カエルの足で ザリガニを釣った子を ほめてあげて下さい
そのザリガニで もう一匹 ザリガニをゲットした子を ほめてあげて下さい
お母さんの お手伝いができた子を ほめてあげて下さい
昨日より 少し速くなった読み書きを ほめてあげて下さい
ほんの少し前よりも 背丈が伸びたことを ほめてあげて下さい
「きらいなものも 食べられたからね」と
あれも これも すごいね いつのまにか 立派になったねと
ほめてあげて下さい
ほめる材料は 無限にあります
こどもに 感謝する気持ちがあれば 溢れ出てくる筈です
そうして 人に優しいことができたら
もっともっと ほめてあげて下さい
きっと なにか
すばらしいものを 返してくれることでしょう
それは 優しい空気を
身体で感じ取ることができたから
きっと もっと すばらしいコミュニケーションが
育まれることでしょう
ことばさえ 必要ないような
さあ あすは 何をほめますか
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