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また JR北海道

またJR北海道がニュースに取り上げられている。

JR北海道は、11月から異例の安全対策に乗り出すとのことであったが、

●2013年09月16日毎日新聞 「運転士がATS壊す 点検ミス発覚恐れハンマーで」
●2013年09月21日NHK 「JR北海道 レール幅基準超約1年放置 脱線事故の原因となった可能性が否定できないとして詳しい経緯を調査中」

等々報道が止まらない。

恐らくきっとJR北海道だけの問題ではないだろう。
安全を最優先するという極めて基本的な考えが、今のニッポンにはないのかも知れない。
(地震大国ニッポンの刹那文化故か。原発問題も人ごとのように。)

近頃、人生における経験(危険な体験)やそれなりの安全教育が欠けているからではないだろうか。
ここで云う経験や教育は、プログラムされたそれではない。

幼い頃からの実体験を考えてみる。

「経験」と「教育」には充分な時間が求められるが、
特に近年は、電子的なゲーム等々で刺激的な疑似体験が出来るものの、
痛みそのものを実感しないと云う、極めて不自然な「実体験」をしているのではないだろうか。
少し前には、チャンバラごっこや鬼ごっこの中でさえ、痛みや危険が溢れていた。

更に、疑似体験には、第三者だけでなく当事者間にあっても共有情報(実感)がないという致命的な欠陥がある。
痛みについて議論もなければ、加害者意識も被害者意識も存在しないのである。加害者も被害者も実体がないのだから。

「ごめん。僕が・・・しなければ、こんなことにならなかったのに...。痛い?」という体験をしていないのだ。
だから、相手への心配りも周辺への対応も、周辺からの的確な助言も体験していないのではないかと。

そうして、
自らのミスに起因する「痛み」、その直近の未来を想像出来ない人が育っているのではないかと思うのだ。
考えが飛躍し過ぎかも知れないが、人の心配を出来ない人が集まっているとしたら、当然の成り行きかも知れない。

性善説が、また遠のいていく...
そんな気がするのは、私だけだろうか。
さあて どう取り組んでいこうか。

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